video

 今日は「ローズマリーの赤ちゃん」を何年かぶりに見直しておぼえていたエンディングと違っててびっくりした(主人公は狂って死ぬとおぼえていた。なぜか)。
 サイコサスペンス+オカルトなつくりの作品ですが「オカルト(不可解な力)の恐怖」というより、 「思い込み(最も恐れていること)が本当になっても、いざ向き合ってしまえば案外受け入れられてしまう心理・集団心理」を最終的には何より恐ろしく描きたかったのだろうね、と、見直して思いました。
 悪魔の目をした赤ん坊が普通の子に育ったらそれはそれでかわいいし面白いんじゃないかと思った。そうはいかんのか。悪魔の血が騒ぐのか。

 ミア・ファローのげっそりしたかんじが、いつもどこか蝶々おっかけてるようなうつろな目が、私には何より怖く感じました。いつ糸が切れてしまうかわかんない情緒不安定な表情とか神経質に疑り深いかんじとか。がんばって冷静でいようとしてるように見えるのに、それでも人より浮世はなれしているあの雰囲気が。
 わたしは俳優さんは、満遍なくいろんな感情を再現できる器用なひとよりも、喜怒哀楽のうちどれか強い感情や雰囲気を引き出せる人・持っている人に魅力を感じます。意識したわけじゃないけどミア・ファローも、私がこれまで見た作品は「カイロの紫の薔薇」をはじめとするウッディー・アレン作品とか「華麗なるギャツビー」とか浮き足立った妄想少女っぽい癖の強い役(結局は妄想すら自分の人生の選択肢としてしまう頑なさが共通している)ばかり見ているのでますますそう感じましたし、雰囲気を生かした役に恵まれている役者さんだなあと思いました。知っているかぎりでは。

 その前にみたのは「ミセス・パーカー/ジャズエイジの華」(写真:右)という、1920年代から 詩人・作家・映画脚本家として活躍していた実在の女性の人生を描いた映画です。これははじめてみた時以来姉とキャーキャーいっていた映画で、最近思い出しまた見たいなーと思っていたら川崎の即売会で300円で買えました。DVDになってないので大変うれしい。
 「才能と美貌に恵まれながら、敏感すぎるその感性のために、常に感情的不安定で退廃的な生き方しかできずに苦しむ女性」のお話です。いたいねー。
 私が特に思い出深く、見たかったのは、ある場面でした。
 作家や役者などが集うガーデンパーティー中、主人公は何か明るい詩を暗誦してほしい、と頼まれるのですが、厭世家で皮肉のうまい彼女はそこで、浮き足立ち実質的な話をしない業界人達相手に(そしてきっとなによりの自己嫌悪をこめて)、こんな詩を読みます。

「『結論』
カミソリは痛く
川は息苦しく
酸はシミを残し
薬はマヒする
銃は違法だし
縄は解けやすく
ガスはくさい
生きる方がまし」

当時田舎生活を呪い、他の同年代カルチャーについていけず軽蔑しかといってそこから抜け出す道も見出せずにくすぶっていた私は、このセリフ聞いて
「このひといいよったわーーーーー!!!(笑)」
とギュンギュンときめいていましたよ。そのほかにもこの映画にはデカダンスに満ちたドロシー・パーカーの実際の詩や言葉が随所に織り込まれています。こういうのお好きな方はどうぞ。
 しかし、ここに描かれるミセス・パーカーのパンクな姿勢は今でもかっこいいと思うけど、初見のときみたいには憧れられねえな(笑)。生きて喰ってくためにはひねくれてばかりもいられないお年頃なのですね。たのしいことがあると期待してしまうし死ねないならあとはその先なにか信じていきるか選ぶしかないものね。ははは。