鈴木志保「ヘブン」

鈴木志保の新刊があった。岩井俊二監督の映画「PiCNiC」のココ(CHARAがやってた主人公)をモデルにしたような女の子の表紙が気になって買った。進行役のような主人公・ベツレヘムは「この世の果てのゴミ捨て場の番人」という設定からして、察していたことがあたっていたようだ(タイトル「ヘブン」はCHARAのデビュー曲「heaven」だし)。

さておき、そこに捨てられたぬいぐるみや紙の切れ端、迷い込んだ小動物たちが、自分がどうしてここへやってきたのか、過去にはなにがあったのかを途切れ途切れに思い出し、歌うような節の短いせりふでつないでいく構成だ。大人になりゆく持ち主に忘れられた上綿がどんどん抜け落ちていくボロのぬいぐるみ、死を察して自分で自分を捨てに来たゾウ、その片隅で、おもちゃのロボットを母親だと思い込む生まれたてのひよこ。

ひらがな赤ちゃん言葉、少しかわいすぎるほどの口語で語られるせりふは甘くやさしいけど、「朽ち果て」「たかが私たち」「いらないから捨てられた」など消費された理由や立場を、行き過ぎない言葉でしっかり捉えられている。しかし捨てられたものたちは土に還って新しい命をはぐくんだり、手直しをされたり、思い出として語られることで再生されゆく。

細い線に丸い輪郭のぽてぽてしたキャラクターたちに癒されながら、繰り返すことを恐れずに受け入れることを、つながりを諭される。

 という内容。死と再生の過程は鈴木さんがライトモチーフとして常に扱っていている。独特な語り口は癖が強すぎるように感じる場合もあるけど、たまに思い出しては繰り返し読む作家さんだ。
 この本では特に「CUTiE comic」の1998年2月号に載っていたけれどまだ単行本には未収録の「ロータス1−2−3」という作品が今回「#3 にゃんぽぽ1・2・3」という作品にセルフリメイクされていてうれしかった。

もとの「ロータス1−2−3」の内容はたしかこんなかんじ↓
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ミッキーマウスのような額の愛嬌のある子猫トラちゃんは、生まれてすぐ捨てられ、拾われてきてはじめて、外の世界を見る。きれいなものもこわいものも、いろいろ目にしてしまう。飼い主のお姉さんは家族の介護に疲れている様子。
美しい植物、空、隣にある死、そんなものがわらわらと規則性のないコマに断片的にちりばめられあらわされる。めまぐるしい世界に戸惑い自分で飛び込んだのか、足をすべらせたのか、誰かになげこまれたのか、そこは読者に考えさせるような、不透明な描写にして、トラちゃんは庭の池に落ちてしまう。
そこで元気で何事もないトラちゃんがのんきに花のにおいをかいでいるカットが入る。
「やがて咲くロータス
君だけのフローラ」
という、歌のようなフレーズが添えられる。
飼い主の女性があわてて拾い上げるが、その両手に載せられくったりしたトラちゃんの目は見開かれよだれをたらし、生きているのか、死んでいるのかわからない。しかしその目には景色が映りこんでていて、最後
「ごらん、世界はうつくしい」
という一文でしめられ、終わり。
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もとのはそれで終わってて、リメイク版ではたんぽぽの種のエピソード(写真右)が付け足され子猫は自分で自分に名づけ、いきていく、というおわりかたにされていた。
「うつくしい」なんて人間のエゴの言葉でしかないかもしれないけど、うつくしいとおもったのならそれに憧れてがんばっていきるのもまた生業。どうせ開き直るならそっちにいきたい。「ドカベン」59話で自分の肩の故障に絶望するんだけど、それを一緒になって励ましなおそうとするドカベンの純な思いやりに感化され、壁を乗り越えようとする里中くんをみてそう思いました(そっちかよ)。