広島国際アニメーションフェスティバル「フィル・ムロイ監督作品特集

広島国際アニメーションフェスティバルは今年で第11回目。ASIF(国際アニメー ションフィルム協会)がアジアでのコンテスト開催を望み、平和祈願の象徴の地・広 島に協力を要望、以来2年に1度、5日間の日程で開催される。当初は「ゲバゲバ90 分」「カリキュラマシーン」などでアニメを担当していた作家・木下蓮三氏がフェス ティバルプロデューサーに着任していたが、97年の氏亡き後は、妻でアニメーターの 木下小夜子さんが引き継ぎ、世界各国のアニメーターの参加・協力を呼びかけている。

 大会のテーマは「愛と平和」。しかし決して教育的な作品を扱うための定義ではな い。木下さんの大会開催挨拶に

「アニメーションは人間の織り成すあらゆる文化を総合し、より人間的な優しさを追 求する。文化が豊かなところに心豊かな人々が集まってくるものでもある/アニメー ションは命なきものに生命を与える芸術。(原爆被害を受けた)広島にもっともふさ わしいい芸術文化と確信している」

とあるように、アニメーションという芸術自体に広く意義を於いているため、作品の 主題・種類は自由で、古今東西から応募される。作品の内容は個人制作の、作家性の高い短編が多い。単純なラインを用いながら空 間の使い方・展開に工夫しているもの、絵画がそのまま動き出したような優美で芸術 性の高いもの、ストーリーに皮肉を込めた社会風刺ものなど、短い時間・2次元の枠 の中でこんなにも表現できることがあるのかと、それぞれの作品に感心してしまう。

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 今回私が目当てにしていったのが26日と28日に行われたフィル・ムロイというイギ リスの作家の特集だった。彼の作品は先述のタイプでいうと一番最後のものにあた る。真っ黒なインクで殴り描きしたような、どれも同じ顔形をした骸骨みたいなキャ ラクターが、欲望も性器も丸出しにしてとんでもない方向へつっぱしっていく様子を 躊躇なく描ききる。群集の動向や関係性を描くのがうまく、その中でイデオロギーが どうやって生まれるのか、一人一人がどうやってそれに関与し、流れを狂わしていくのかという過程を、わかりやすく滑稽にデフォルメし、暴い ている感を受ける。あまりにも展開が突飛で、単純な動作が滑稽なので、おバカな不条理アニメとしても純粋に楽しめる。どっちにせよ「アニメ=子供向け・かわいらしさ」としか連想しない人が見たら卒倒するような内容だ。

 私はこれまで彼の作品を3つしか見たことがなかったが、どちらもおおまかに言い 表すとそういう作風で、8年前に見て以来ずっと気になっていた。だから今回の特集 はとても楽しみで、作者本人による解説もあるということで期待は尚更だった。結果 からいうと、行ってよかった。正直どんな毒々しい人がこんなに暴力的な作品を作っているのやら、と思っていたが、フィル・ムロイ監督は穏やかなイギリス紳士だった。しゃべり方は明朗で、身のこなしがきちっとしているのに肩の力が抜けていて、ヘビーな内容の自作品について楽しげに語る。

 イギリスに生まれ育ち、ロイヤルカレッジでアニメーションを専攻したが中退、アニメ制作を離れ10年程実写映画を製作していたが、映画資金調達策として、またアニメーターの妻に感化され、再度アニメーション制作に着手。ドローイングの楽しさ、 2次元の表現に可能性を再発見し
「自分がずっと求めていた表現方法はこれだった」
と気がついた。代表的な作品は

●「INTOLERANCE?・?・?」
ある時、宇宙を漂っていた謎のフィルムが回収される。それには人間に酷似した生命体・ゾグの生活が記録されていた。人間と決定的に違うのは、ゾグは性器が顔の部分についていて、顔が股間につき機能しているという点。キスは挿入行為に見えるし、 セックスは足をおっぴろげて股間についている顔を向かい合わせ行っている。おぞましい光景に怒り心頭の人間たちは、「こんな生物は撲滅しよう」と、正義をかけて宇 宙へ旅立った。しかし、ゾグはなかなか見つからない。2000年という月日を重ねるうち本来の目的を忘れ「旅のための旅」をするようになった人間たちは、もはやゾグが いるか・いないかで内部分裂、混乱は混乱をよび、信じられるものを無くした彼らは エルビスを神と崇め、空気人形を最高指導者におくようになる・・・本当にゾグはいるのか?彼らは人間の敵か、見方か、そもそもなんでこんなことになってしまったのか!?やがて意外な事実が発覚するまでを、ばかばかしくも壮大に描いた叙事的3部作。


●「サウンド・オブ・ミュージック
暴力が支配する街。ビルの中の一般人は飢えて干からびている。窓拭き掃除の仕事 中、主人公・ウルフボーイはその光景に涙する。夜はサクソフォンプレイヤーとして 出演しているレストランへ向かうが、そこで行われている慈善ディナーショーこそ残 虐の極みだった。集まった金持ちたちは食事前のお祈りもそこそこにひたすら料理を 平らげる。コック・ウェイターが総動員で動物をぶつ切りにし、料理を出すが、それでも間に合わなず、とうとう材料が底をつく。困ったコックが思いついた手近な食材は、路上生活者、貧民、学校の子供たち、病院の嬰児。彼らをかき集め、ぶった切って料理にして出す。殆ど人間の形をした食事を無心に食い漁る金持ち集団。ウルフの 泣き叫ぶようなサックスの音色にあわせ、そのスピードは加速していく。

そのほかキリスト教十戒を破りまくる話や、古風なカウボーイ社会に現代生活をあてはめた作品など、2日間で全20作が上映された。

ムロイ監督は、アニメーション(絵を動かすこと)はあまり得意ではないし興味がないので、その代わりアイディアで魅せたいのだという。カットを多様し、スピーディーに書き上げるのがすきなのだそうだ。ただの紙の上に描かれた単純なことをいかに面白くみせるか。作品は常にリラックスした状況で、思いつめずにつくっているという。特定の観客は想定せず、自分の面白いと思うことを追求して描いている。

プロットの作り方として 「重要なことと重要ではないシチュエーションを組み合わせ、矛盾感を取り入れることが面白い展開を生む」 という独自の発想法も紹介していた。「イントレランス」は顔と陰部の逆転、「サウンドオブミュージック」は慈善と偽善、「カウボーイシリーズ」は保守と流行の生活。てっきり社会批判のつもりで根詰めてガリガリ作っていそうだと思っ ていたので、私の予想とはまるで逆の制作方法に驚いた。しかし「矛盾しているもの」同士を面白おかしくくっつけた結果が自然と現代社会の風刺に見らるというの が一番の皮肉というかなんというか。そんなもんだよねと笑えるというか。

人間はより快適に生きるために文明文化を生み進化してきた、そのはずなのに、私た ちはいつもどこか不幸で、満たされることがない。自分の人生を生きているつもり で、同時に大衆の中の一人でもあり、いざというとき自由が利かない。当たり前のよ うでいて笑い飛ばすこともできぬほどその状況に埋もれてしまうこと、楽しむために 苦しんでしまうこと。ムロイ監督はそれが最たる矛盾だということに気づいているん だろう。リラックスして、楽しんで制作するのがコツだというようなことを繰り返していた。

「個々のキャラクター造型にこだわったり、内省的な問題を扱ったアニメは他の人が いっぱいやっているから、私までやる必要はない。もちろんこれまでの芸術について 学んできたし、敬意ももっている。でも自分にはいかにも『芸術』というマークはいらないから、表情や服装などを詳しく描くのもやめ、この黒いキャラクターの手法に行き着いた。必要最低限のもので伝えられるものだ。ダイレクトに伝わる作品を作りたい。」

もう十分ダイレクトだが、もっととがり続けていろんな矛盾をくっつけては爆発させてほしい。 なんて、自分でインタビューしたかのような書き方ですが、以上公開セミナーでのお話 をまとめたものです。あしからず。

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※フィル・ムロイHP↓(英語ですが「INTOLERANCE?・?・?」イントロダクション などが見られます)
http://www.philmulloy.com/index.html.