パンズ・ラビリンスをみたのだった。

      

 日曜日に有楽町・シネカノンで4時の回いったら、大友克洋が同じ回みてた。
 ああいう顔のおじ様、ふつうにいそうだけど、あれは絶対大友克洋だった!と思う(童夢どうなったんだろう)。
 
 あとパンフで読んだのだが、「ヘルボーイ2」製作中って、超うれしい。その次はラブクラフト「狂気の山にて」だそうです。

 またネタバレ含む感想を書いてしまったのでこれからご覧になる予定の方はおきをつけください。

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 すきなものほどより厳しくつっこんでしまいます。すきだからこそ!
そんな感想。

  時折
 「なんでそこでトドメささないの?」
 「あんた賢いくせに、なんで大事なときに限って余計なことすんの?」
と、登場人物たちに突っ込まずにはいられない場面があった。
 おそらく、冒険・ファンタジーアニメ・映画に慣れ親しんで育ったという同監督にとっては、どうしても、守らざるをえない「ファンタジー映画の鉄則」みたいなものがあった
んだろう、と勝手に憶測するのだけれど。ドラマを煽るためのまどろっこしい、子供だましな演出がところどころあってイライラした。あんなに凝った独自の映像美ともともとのストーリーのよさがあるんだから、わざわざそこ守らなくていいと思う。そんなところに映画らしさをこだわるのはもったいないと思う。
 という個人的な感想以外は完璧な素敵な映画だった。

 
ギレルモ・デル・トロ監督は「血」を描くのが上手いのではないか
 血の赤黒く澄んだ色彩と、血縁の因果、という両義

 オフィーリアの義父である大尉は、偉大な軍人だった父の期待に応えようと冷酷に統治し、自分の血筋を絶やさないことに執着するけれど、肉体的な存続にとらわれて
いるだけの利己的なその野望は反逆軍によって断たれる。
 オフィーリアは虐げられ、一見陰惨な死をもって弟を守り、夢を実現する。地帝国にいくのを渇望していたのに他人を犠牲にはしない。
 結局オフィーリアと大尉は(正義悪抜きにして)理想をかなえたがっていた似たもの同士だったんじゃないか。ただ後残された人間に何を残せるか、受け継いでもらえるか(作品中でも「永遠の命を与える力があるけれどトゲに恐れ誰も触れない毒バラ」とラストの「枯れたいちじくの巨木に咲く白い花」にその関係は対比される)。戦争は社会を変えようとしている状況なわけで、ファンタジー=越境とするなら、大尉にとっては新しい社会を築くことが越境だった。

 結局ラストの締めくくり方からは
 「社会のためとかいって、大人は自分の都合のいいようにわがまましてるだけだったりするからね!子供しっかり!」
という警告のようにうけとったのですが。

 またブレイドヘルボーイも自分の血筋・運命と戦う話で、デビルズ・バック
ボーンはスペイン内戦時の話(同じ民族同士なのに思想の違いで、誰が敵か見方かわからない、身の置き場に不安を持たされるシチュエーション)だし。最近は「愛する人たちのために戦う・死ぬ」とか、またそういうことが美化されつつあるけれど、同監督作品には、コミュニティーの中に身をおくことの苦しさ、自分で何を選んで属するか、という孤高の戦いこそが生きる意味だ、というメッセージが通底しているように思えます。