スカイ・クロラをみたのだった。

 最近みた映画の感想。あらすじ省きます。(注)ネタバレあり。

●「スカイ・クロラ
 原作読んでないから話としてはどこまで取り出されているのか分からないけれど。
 映画だけで言わせて頂くと:
 背景(たしかにこれは飛び込みたくもなるような空・海の透明感、反して人間の生活がそこにあるとは思えない、退屈そうな静かな町並み)、空中戦のアニメーションは最高だった。

 しかし「何者かになることを拒み続け」「他人の介入を好まない」現代の若者へ向け「辛さこそ生きることの醍醐味」というメッセージとして作ったというなら、あれで終わりにして欲しくなかった。その先こそを描いて欲しかった(例えばティーチャー〈大人〉との決着、草薙水素の選択)。
 
 殺されない限り不老不死のキルドレたちは、繰り返す日常に、次第に自分がいつ・どこにいるか分からなくなっていく。いくらでも代わりのきく身だと実感しながら、同じ境遇の同僚たちと特に深く交流することもない。しかし空に出れば、互いの座標を確認しあい、連携して、生き生きと交戦しあう=不満に思いながら、与えられた環境の中にしか生きる意義を見出せない、という設定は現代っこに共感させるものがあったと思うけれど、ストーリーの運びは、キルドレの「どうせこんな風にしか生きられない」という無自我な心象描写に偏り少々冗長だった。その上「好きな人のために命をかけて」っていう最後が…恋人(自分と同じくらい大切に思えるけれど結局自分のダミー)を生贄いけにえにしないと自分の生を実感できないという描写がわたしは怖いので。

 ユウイチの死より、水素に似た女たち(水素の娘・娼婦のフウカ・年配の女性整備士)が、水素がこの先選びうる兵員以外の生き方を示唆していて、そのキャラクター配置自体が前向きな答えだったのかもしれないけど。

 監督は「行間を読ませたい」とインタビューで言ってたけど、いきなり戦争の意義説明したり、それまで言葉少ないところにいきなり孤独を独白しだすセリフの数々も露骨だったので、なお思うのだけど、「若い人に向けてメッセージ送りたい」という場合は、若者に迎合しないほうがいいと思う。台本やスッキリした線のキャラクターなんかも、伝わりやすくするための手段だったんだろうけれど、分かりやすくしないほうがいいと思う。あのままでは空中戦の方がたのしいしキルドレのままでいるほうがいいという同情で終わってしまうのでは。もっと「ついてこいや!」「かかってこいや!」と目を覚まさせるような展開がほしかった。…いやそれは、押井さんのすることじゃないか…(似合わない。